東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)232号 判決 1988年6月14日
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)及び二(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 本願商標の構成を表示することについて当事者間に争いのない別紙(一)によると、本願商標は、楕円輪郭の図形内に首付近より上部の犬の図形を配し、右犬図形を大きな部分を占めて活字体の「BOSTON・TRADERS」の英文字をもつて囲み、右楕円輪郭の図形の外側に矩形状の図形の四隅を表して成るものであつて、文字部分と図形部分とが一体に結合し、これによつて商品としての自他識別機能を果たしているものと認められるから、その文字部分及び犬図形以外の図形部分を捨象し、犬図形部分のみが独立して取引者、需要者の注意をひくことはなく、この部分のみが商品としての自他識別機能を果たすことはあり得ないというべきである。
したがつて、本願商標は、取引者、需要者が、大きく活字体で表示されている文字部分に着目して、「ボストン、トレーダース」と称呼、観念する(このことは、当事者間に争いがない。)ほか、その文字部分と図形部分との結合による一体性に着目しその中でも文字部分に重きをおいて「犬のボストン、トレーダース」と称呼、観念することもあるというべきであるが、その犬図形のみに着目し、単純に「イヌ」(犬)と称呼、観念することがあるとは到底認められない。
被告は、本願商標において、その文字と図形はそれぞれ顕著に表されており、いずれも看者の注意をひきやすいとみられるから、「犬」の図形部分も独立して自他商品の識別標識としての機能を果たし得る旨主張する。
しかしながら、商標の類否判断は、文字、図形の結合商標にあつては、その結合された構成の全体について取引者、需要者にいかに理解されるかによつて決するべきである。もつとも、結合商標とは言いながら、その中のある特定部分が特に注意をひきやすく、その部分が存在することによつて初めてその商標の識別機能が認められるような特別の場合には、その部分を商標の要部と認めて類否判断の対象とすべきであり、その結果要部が文字と図形についてそれぞれ独立して存在する場合もないではないが、前記認定のとおり、本願商標において、犬図形は楕円輪郭の図形内に、大きな部分を占めて活字体で表示されている「BOSTON・TRADERS」の英文字に囲まれて配されているのであつて、このような文字部分とそれに囲まれた図形部分とが緊密に一体結合されている場合に、取引者、需要者が図形中の犬図形のみをとらえ、単純に「イヌ」(犬)と称呼、観念して取引にあたるとはいえない。したがつて、本願商標中の犬図形部分は独立して商品としての自他識別機能を果たすことがないものというべきであつて、被告の前記主張は理由がない。
2 これに対し、引用商標の構成を表示することについて当事者間に争いのない別紙(二)によると、引用商標は、左側に背付近より上部の犬の図形を、右下側にかばんの図形を配し、両図形の上部に「犬印」の漢文字を横書きして成るものであつて、取引者、需要者から、文字部分と図形部分との結合による一体性に着目して「犬とかばんの犬印」と称呼、観念されることがあると認められるほか、読みやすい漢文字部分のみに着目して称呼、観念される場合がある(引用商標の文字部分から称呼、観念が生ずることは当事者間に争いがない。)というべきである。そして、その場合に、「印」の文字部分が商標にしばしば採択されることがあるからといつて、「印」の文字部分を除くその余の文字部分のみを商品識別の指標として使用するのが取引の実情であるとはいえない。ことに、引用商標の文字部分は、「犬印」の二字のみで成るから、取引者、需要者が、かばん類の商品分野において商標として使用されることが多く、また、個性のない普遍的な名称である「犬」(成立に争いのない甲第五ないし第三〇号証によれば、かばん類の商品分野においては、多数の犬図形商標又は犬図形と文字との結合商標が出願公告されていることが認められる。)のみをとらえて、引用商標を「イヌ」(犬)と称呼、観念して取引に当たるとすれば、商品を識別できないおそれがあると認められる。したがつて、引用商標は、取引者、需要者から「イヌジルシ」(犬印)と称呼、観念されるものというべく、「印」の文字部分を省略して単に「イヌ」(犬)とのみ称呼、観念されるとは到底認めることができない。
3 前記1、2に認定したところに基づいて、本願商標と引用商標とを対比すると、本願商標は「ボストン、トレーダース」又は「犬のボストン、トレーダース」の称呼、観念を有するのに対し、引用商標は「イヌジルシ」(犬印)又は「犬とかばんの犬印」の称呼、観念を有するものであつて、いずれの商標からも「イヌ」(犬)の称呼、観念を生ずるものでないというべきであるから、両商標はその称呼、観念を異にすることが明らかである。
したがつて、本願商標と引用商標とは、「イヌ」(犬)の称呼、観念を共通にする類似の商標であるとした審決の認定、判断は誤りであるから、審決は違法として取消しを免れない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容する。
〔編註その一〕本件における主文および当事者の主張は左のとおりである。
主文
特許庁が昭和五九年審判第一〇六三七号事件について昭和六二年七月一六日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
主文同旨の判決
二 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第二 請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和五六年一〇月一六日、別紙(一)に表示したとおりの構成より成る商標(以下「本願商標」という。)につき、第二一類「ベルト、革製かばん、その他本類に属する商品」(後に「アメリカ製のベルト・革製かばん、アメリカ製のその他本類に属する商品」と補正)を指定商品として商標登録出願(昭和五六年商標登録願第八七〇一二号)をしたところ、昭和五九年二月一〇日拒絶査定があつたので、同年六月五日審判を請求し、昭和五九年審判第一〇六三七号事件として審理された結果、昭和六二年七月一六日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年八月五日原告に送達された。なお、原告のため出訴期間として九〇日が附加された。
二 審決の理由の要点
1 本願商標の構成、指定商品、登録出願の日は前項記載のとおりである。
2 ところで、登録第四三六六八二号商標(以下「引用商標」という。)は、別紙(二)に表示したとおりの構成より成り、旧第五二類「各種の鞄類」を指定商品として、昭和二七年六月一三日に登録出願、昭和二八年一二月一二日登録、その後昭和五〇年一月二八日及び昭和五九年九月一七日にそれぞれ商標権存続期間の更新登録がなされたものである。
3 よつて按ずるに、本願商標は、別紙(1)に表示したとおり、図形と文字との組合わせより成るものであるが、その構成中、楕円輪郭図形内に表されている動物の図形は、極めて写実的に描かれているため、これを一見すれば直ちに「犬」の図形を表したものと理解し得るところである。しかして、該犬の図形は、他の輪郭図形及び文字との関係においては、視覚上分離して看取されるばかりでなく、これらと結合させ一体不可分のものとして把握しなければならない格別の事情も存しないところであるから、該犬の図形部分は独立して自他商品の識別標識としての機能を果し得るものと判断するのが相当である。してみると、本願商標は、その構成中「犬」の図形部分より「イヌ」(犬)の称呼、観念をも生ずるものといわざるを得ない。
他方、引用商標は、別紙(二)に表示したとおり、犬とボストンバツクを表した図形と、その上部に「犬印」の漢字を横書きして成るものであるが、これに接する取引者、需要者は読みやすい文字の部分をとらえ、これより生ずる称呼、観念をもつて取引に当たる場合がむしろ多いものと判断するのが相当である。しかして、前記構成文字中の「印」の文字部分は、「しるし、商標」等の意味において商標中にしばしば採択される附記的な部分といい得るものであるから、自他商品の識別標識としての機能を果す文字部分は、「犬」の文字にあるとみられるものである。してみれば、引用商標は、その構成中「犬」の文字部分より「イヌ」(犬)の称呼、観念をも生ずるものといわなければならない。
したがつて、本願商標と引用商標は、「イヌ」(犬)の称呼、観念を共通にする類似の商標であり、かつ、本願商標の指定商品中には、引用商標の指定商品と同一又は類似の商品が包含されているものと認め得るから、結局、本願商標は商標法第四条第一項第一一号に該当し登録することができない。
三 審決の取消事由
1 商標は、商品の出所表示の標識として機能するものであるから、商標の称呼、観念は、当該商標の構成から最も自然に導き出されるところに従つて定められるべきである。
本願商標は、別紙(一)に示すとおり、「犬の首」図形と、それを囲んで「BOSTON・TRADERS」の文字を書き、これらを「楕円形」の図形で支持する形をなして成る、文字と図形の複雑な結合商標である。この複雑な結合商標の称呼は、当然その文字の部分から「ボストン、トレーダース」であり、文字部分をさて置き、また他の図形部分を無視して、単に「イヌ」(犬)と称呼されることはあり得ない。本願商標の称呼が右のとおりであるとすれば、その観念もまた「ボストン、トレーダース」であり、その観念が単に「イヌ」(犬)でないことは明白である。
しかも、本願商標中の犬図形に限つて見ても、審決も認めるように、「極めて写実的に描かれているため」、その犬がどの種類に属する犬であるかをその特徴から把握することができる。すなわち、右犬図形に示された犬の耳がたれ下つており、その犬は猟犬の種類であることが取引者、需要者に認識される。仮に、右犬図形が猟犬を描いたものと認識されないとしても、犬は人間生活において常に人間と深いかかわりをもつており、だれもがよく知つている動物であるから、右犬図形中の犬が洋犬であり、その表現態様は首から上の側面であることは一見して明らかであつて、この程度の観念、認識は、取引者、需要者が普通になすところである。このような犬図形より、その図形としての特徴を無視して、単に「イヌ」(犬)の称呼、観念が生ずることはあり得ない。
2 これに対し、引用商標の構成は、別紙(二)に示すとおり、「犬印」の文字、「かばん」の図形及び「背中の部分から上方を表し、後を振り向いたポーズをしている犬」の図形の結合から成るものである。この結合商標の称呼は、その文字部分から「犬印」であり、このような特殊な結合態様から成る商標をわざわざ「イヌ」(犬)と称呼することはあり得ない。引用商標の称呼が右のとおりであれば、その観念もまた「犬印」であり、単に「イヌ」(犬)でないことは明白である。
しかも引用商標の犬図形に限つて見ても、本願商標中の犬図形と同様に写実的に描かれているため、その犬がどの種類に属する犬であるかをその特徴から把握することができる。すなわち、右犬図形に示された犬の耳が立つており、その毛並から判断して柴犬の種類であることが取引者、需要者に認識される。仮に、右犬図形が柴犬を描いたものと認識されないとしても、右犬図形は、耳の立つた犬で特徴あるポーズをとつており、この犬が洋犬でないことはだれが見ても明らかである。このような犬図形から、その図形としての特徴を無視して単に「イヌ」(犬)の称呼、観念が生ずることはあり得ない。
3 以上のとおり、本願商標は「ボストン、トレーダース」の称呼、観念を有し、引用商標は「犬印」の称呼、観念を有するから、両商標はその称呼、観念を異にするものであり、その犬図形もそれぞれ前記の異なつた特徴を有するものとして、取引者、需要者に認識されるものである。
引用商標から「イヌ」(犬)の称呼、観念が生ずるとすれば、引用商標は、犬図形の付された先願商標(昭和一六年商標出願公告第一一〇五号)の類似商標として登録されなかつたはずであり、また、その登録出願後になされた引用商標と指定商品を同じくする、犬図形又は犬図形と文字の結合商標の登録出願は引用商標の類似商標として拒絶されるはずであるのに、多数登録されていることからみても、引用商標から「イヌ」(犬)の称呼、観念を生ずることはないというべきである。
しかるに、審決が本願商標より犬図形を、引用商標より「犬印」の文字を把握した上、両商標は、「イヌ」(犬)の称呼、観念を共通にする類似の商標であると認定、判断したのは誤りであつて、審決は、違法として取り消されるべきである。
第三 請求の原因に対する認否及び被告の主張
一 請求の原因一及び二の事実は認める。
二 同三は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。
1 商標の称呼、観念は、一般の商取引にあつては、通常簡明な称呼、観念をもつてなされるものであるから、文字と図形の結合した商標であつても、必ずしも全体観察にとらわれることなく、結合の態様によつては、全体の構成中、看者の注意をひきやすい部分の称呼、観念をもつて取引に資せられるとみるのが相当である。
そこで、本願商標を見るに、その構成は、「BOSTON・TRADERS」の文字と「犬」の図形との結合より成るものであるが、その文字と図形はそれぞれ顕著に表されており、いずれも看者の注意をひきやすいとみられるものである。してみると、本願商標中の「犬」の図形部分も独立して自他商品の識別標識としての機能を果たし得るものであつて、前記文字部分より生ずる「ボストン、トレーダース」の称呼、観念のほか、「犬」の図形部分より「イヌ」(犬)の称呼、観念をも生ずるものというべきである。
また、本願商標中の犬図形は、その描き方からみて特定の犬の種類を表したものと的確に把握し得るものではなく、通常の注意力をもつてしては具体的な犬の品種名等は想起し得ないものとみるのが相当であり、単に包括名称としての「犬」を理解するものというべきである。
2 引用商標の構成及び引用商標から生ずる称呼、観念は審決認定のとおりであつて、その犬図形は通常の注意力をもつてしては具体的な犬の品種名等を認識し得ないものと判断するのが相当であり、「犬印」の文字より「イヌ」(犬)の称呼、観念を生ずることは明らかである。
3 以上のとおり、本願商標と引用商標は、「イヌ」(犬)の称呼、観念を共通にする類似の商標であり、その類否の判断に当たり、引用商標よりは「犬印」の文字部分を、本願商標よりは「犬」の図形部分をそれぞれ抽出し、互いの共通点を対比して観察した方法に違法な点はない。また、原告主張の過去の審査・登録例は、いずれも本件と事案を異にし、これをもつて本件における両商標を非類似とする根拠とはなし得ない。
〔編註その二〕本件に関する商標は左のとおりである。
別紙(一)
<省略>
別紙(二)
<省略>